本ページは、日本各地で気候変動緩和の活動に取り組んでいる方から、当研究会にお寄せいただいた寄稿文を掲載するページです。
原子力発電問題 全国シンポジウム2024(敦賀 )にご参加された近藤真理子様(河野委員長の知人)からご寄稿いただきました。近藤様は、現在「日本の科学者」の編集委員をなさっています。アースディはまでらこうえん事務局や、公園あそび、育児のサークルなどの地域での子育て支援等経て、現在大和川市民ネットワークの運営委員として、子どもたちとの河川にまつわる様々な活動をしています。この夏は警戒アラートとの戦いで、子ども期のあそびの保障の危うさを肌で感じたとのことです。
原子力発電問題 全国シンポジウムの見学会に参加して
「日本の科学者」編集委員 近藤真理子(こんどう まりこ)
日本科学者会議原子力問題研究委員会主催の「第39回原子力発電問題 全国シンポジウム2024敦賀」の企画の1日目の見学会に参加した。2日間でひとつの目的を達成するであろう企画に1日のみの参加はいささか不真面目ではないかという思いも抱きつつ、勢い申し込んだ次第である。参加のきっかけは、原子力発電所とその地域、街を見たかったということで、不純な動機ですみません、という感じではあるのですが・・・
バスで迎えられ,研究会の委員長自らチャーターバスを運転し、奥様が福井県や敦賀のこと、新しくできた北陸新幹線と駅舎のことという大まかな街のことから、原発のこと、原発にまつわる街の「恩恵」について説明をわかりやすく、かつユーモラスに説明をしてくださった.北陸新幹線が開通をして、たくさんの人がやってくるようになり、新幹線敦賀駅には数々の日本一があるなどというミニ知識も教えていただいた。しかしその一番ということの裏側には、原発マネーや発電所を多く設置されている自治体としての国との関係もあるのかもしれないと思ってしまうのはひねくれているのだろうか.どういうわけか福井県に発電所が集中をしていること、知事の「仕事」は原子力発電所のある自治体だからこそのある種の経済的な活性化を目指すこととなっていることの説明をしていただいた。この2つはおそらく密接な関係があり、小さな町が活性化していきながら原子力発電所はなくならないだろうなということを実感した。しかし小さな町の活性化は、日本中の死活問題であり、発電所の有無に頼る課題ではない。
見学コースは2か所の資料館と発電所の見学であった。とてもきれいな設備で、原子力発電のことが紹介されていて、女性のガイドの方にいくつか質問をするのだけれど、いまいち答えが明快ではない。いろんな関係性もあり、それを踏まえて検証、説明ができる原発専門の学芸員をおくというのもなかなか困難であろうし、知らないこと、知らされてないことも多いのだろう。学芸員が原子力発電は安全ですと訴えるにしても、3.11の事実がある限り、不用意な発言ができないというのが誠実な学芸員であろう。
きれいな海と空と山、大阪の海とは当然比べものにならないし、日本海特有の美しい海岸と海、そこに立つ発電所、海産物くらいしか産業がなく、土地もある。そこに発電所建設は労働の機会,産業振興としては利点もあるように見えたのであろう。しかし、3.11で明らかににどんな恐ろしいことがおきるのか、どれほど恐ろしいのか、被害の甚大さがすさまじいものであるのかということを目の当たりにしても、静かに再稼働が始められる。被害の大きさを踏まえて、安全対策として巨額の費用を投じた設備を造る。自然破壊も原発の問題ほど声が上がっていないかもしれないが、自然への負担も大きい。決して持続可能な安全な対策ではない。美しい景色と巨大な自然物の違和感を日々見て暮らす人々の思いはどんなものだろうかと思いを馳せる。
自身も大阪府堺市に住み,笑い話であるが堺の子の写生は、何をテーマにしても煙突が描かれていると言われて育った。煙突,それは堺・泉北臨海工業地域のもので、空を見れば煙突、時々上がる小さな(おそらく近くで見たら大きい)炎に不安を感じながらも、いつも大丈夫だから大丈夫だよねと「いつも」に根拠なく安心をしてきた。おそらくそれ以上に「いつものように大丈夫」に騙され続け、実際、堺以上の恐ろしい事態を東日本大震災で目の当たりにしてあの大きな発電所を見て何を感じておられるんだろうかと思わずにはいられなかった。
その後交流会へと続き、駅へ送っていただくのだが、交流会の司会や運営、駅への送り、翌日の他のホテルの宿泊者への対応など、きめ細やかで、温かい空気の流れる時間であった。委員会の皆様、実行委員の皆様本当にお世話になりました。ありがとうございました。
(2024年9月1日受理)
今回の掲載は、当研究会の河野委員長が大学で教鞭をとっていた時の教え子であるT.S様から寄せられたものです。委員長の要請に応えてくれました。
とある公務員の話
市役所勤務 T.S.
先日(といっても3か月ほど前ですが)、大学・大学院時代にお世話になった河野先生(JSA-ACT委員長)からホームページを立ち上げたので、寄稿文を書いてくれないかとのお話をいただきました。社会に出てから16年(4年ほどフリーターでしたが・・・)、今は公務員として働いています。難しい文章など卒業論文以来書いたこともなく、お断りしようとしていたらなんだかおだてられてしまって、せっかくの機会でありますしお受けした次第であります。
とはいえ、どんな内容を書けばいいのか・・。というのも、大学院時代は地球温暖化に関心はあったし、風力発電の適正な立地条件の研究をしていたりで、そこそこ浸かっていたわけですが、社会人になってからというもの関心が薄れてしまって、地球温暖化問題を身近に感じるのは、ゲリラ豪雨の時くらいになっています(しかし、今でも風車をみると多少テンションは上がりますが)。読んでくださる方の中には行政と関わりを持たれる方もいると思います。詳しいことは語れませんが、一公務員の思うところを書いてみて、読んでくださる方の少しでも役にたてれば幸いです。
○自己紹介
私は、某中核市に勤める市役所職員で12年目です。もうすぐ第1子を出産予定で、産前休暇をとっています。管理職ではないですが、中堅職員で、ようやく役所の仕事を客観的に考えるようになってきました。
大学時代は、風力発電の設置場所にデータ解析をやっていました。一番印象に残っている河野先生の教えは、物事の本質を見抜くことという教えで、学生時代は、ニュースからも見抜けるようになれと言われたときに、そんなことはできないと思っていましたが、不思議なもので、40歳目前にやっとそういう風に見れるようにもなってきました。
○市役所でのこと ①図書館の建設
公務員になった私の3つ目の異動先が図書館でした。全国的に耐用年数が過ぎてきたことや耐震対策により各地で建て替えがよくあり、私の市でもそういう話が出てきたときの異動でした。
公立図書館というと、大方の共通認識は本を借りることのできる施設であると思います。それ以外は個人差があるような気がします。じめじめした、薄暗い、静寂というイメージを持つ人もいれば、明るい、おしゃれ、居心地がいいというイメージを持つ人もいると思います。同じ機能を持つ施設なのに全国には色んな形の図書館があることを知り、興味深かったです。
私の生まれた町には町営の図書館がありましたが、公民館と併設されており本の冊数が少なかった(蔵書数約3万冊)ですが、それ以外の図書館を知らないと、その蔵書数でも充分に感じ、背表紙を読むだけで、知的好奇心が刺激されたことを覚えています。今となってみると図書館における地域格差というのがあって、各自治体によって、重要としている施設か否かというのが見えてきておもしろいものです。
地域格差といえば、図書館勤務時代、新婚旅行で北欧に行く機会があったので、スゥエーデンでふらっと市立図書館に立ち寄りました(特段、有名な図書館ではない)。図書館見学に行こうと思ったのは、北欧の図書館は日本よりも発展しており(施設も運営も)、見習うところがたくさんあるからです。内装はカラフルでインテリアも北欧らしく、おしゃれな図書館というのが第一の印象でした。それよりも驚いたのは、開館時間よりも早く行ったのにも関わらず扉が開いている! 職員と同時にその扉を通り、見学させてほしいと伝えるとノープロブレムとの回答。日本だったらそんなことありえないのでは・・と考えながら、ありがたく館内を視察。親子連れもすでに入っていて、絵本を読んだりしています。おそらく、貸出ができるのは開館時間以降だが、職員がいて開いているなら本は自由に見ていいよというスタンスが基本的なのだろうと感じました。日本でそんなことをすると、発生する問題の責任はどうする、何か(ネガティブな)あったときどうだとかを考えて、またルールができてしまう。こうゆう柔軟さ、羨ましくも思ったり、お国柄を感じたり。地域格差に通ずるものがあるなぁと感じた新婚旅行でありました。
今ある環境がスタンダードではないということを感じた図書館時代でした。
○市役所でのこと ②農林水産関係
そんなこんなで、気が付いたら新しい図書館が開館して1年が経ちました。これから運営内容の充実を図るぞと思っていた矢先、人事異動で農林水産関係の部署に移りました。部署の人のほとんどは専門職(土木職)。私の仕事は予算関係などの事務的なことですが、課の主な仕事は農道・水路・ため池の工事・修繕や農業施設の災害対策です。
この課で太陽光発電と関係のある業務がありました。太陽光発電施設を作るときには県か市の許可が必要ですが、課が管理している水路等ある場合は、許可申請者と協議することとなっていて、年に数件、太陽光発電の業者等とのやりとりがあります。こちらとしては、大学時代、地球温暖化を学んだ身ですので、太陽光発電の話には多少興味があります。太陽光発電の許可を出すのは別の課ですが、こちらの課でその業務に携わっている職員はあまり太陽光発電に関していいイメージを持っていませんでした。それは、設置計画場所の地元の反対が大きな原因だったりします。また市として太陽光発電導入に積極的か積極的でないかの明確な方針・施策がないのもマイナスの感情を産む原因としてあります。そういうところに行政のもどかしさを感じます。数字だけでは意思決定ができない。多くの立場の人の感情を汲み取りつつ最適解を出す作業。数字だけをもとに進めていくことはできず、答えのない判断に日々直面します。いろいろ試してみて、トライ&エラーを繰り返し、施策を実行できればよいのだけれど、どうも失敗してはいけないという風潮がとてもあります。
ただ、公務員は、ニュースなどで叩かれることも多いですが、意外とアンテナが高くいろんな情報を収集している人が多いです。太陽光・クリーンエネルギーについて同部署の先輩に意見を聞いたら、地元で会社を設立して利益を上げている事例を知っていたり、太陽光の問題点はソーラーパネルの処理をどうするかであったり、こちらが聞けば聞くほどいろいろな情報が出てくる。人によるところは大きいと思いますが、行動を起こしていないだけで、真剣に市の将来を考えている人が多いように思います。
○市役所でのこと ③スタンダードスキルにデータ解析!
市役所は色々な計画をたて、それに沿って事務を行っています。私も何個かの計画の立案に携わりました。計画を立案するうえで、基本的な事の一つは、現状値と目標値の設定に色んな要素を足しこむことだと考えています。そこで、重要なのは現状を客観的に捉えられるか、目標値を目指すために何をするのか・実現可能な目標値なのか。どの時間軸(立案時~実行期間)での仕事でも必須なのは、データ解析だと思っていますが、できる・できないの個人差が激しい現状です。市役所の入庁時の試験で、法律や経済学はありますが、統計学はなかったように思います。今後必要なスキルになるのではと考えていて、産休中にひっそりと勉強しておこうと思う今日この頃なのでした。
(2024年5月22日受理)
槍ヶ岳 Photo by H.K 2023年6月
初回掲載は、岩手県葛巻町役場勤務の 村上 唯様から寄せられたものです。村上様には、当研究委員会の河野委員長が葛巻町における再生可能エネルギー取り組みの現地調査に伺った際に大変お世話になりました。
(本ホームページの活動記録「現地調査2022年9月15~18日」を参照のこと)
photo by H.K. 2023年6月
初回掲載は、岩手県葛巻町役場勤務の 村上 唯様から寄せられたものです。村上様には、当研究委員会の河野委員長が葛巻町における再生可能エネルギー取り組みの現地調査に伺った際に大変お世話になりました。(本ホームページの活動記録「現地調査2022年9月15~18日」を参照のこと)
エンジョイ葛巻ライフ ~移住して5年を振り返って~
岩手県葛巻町 村上 唯(むらかみ ゆい)
○岩手県葛巻町の魅力に惹かれ移住
私は宮城県名取市の出身で、岩手の大学へ進学後、ここ葛巻町の役場に就職した。よく葛巻町の人に聞かれるが、どうして盛岡市から車で1時間半もかかるような田舎に来たのか?私が葛巻町の事を知ったのは大学の時である。私は大学の放送部に所属していた。葛巻町は町内全域で自主放送「くずまきテレビ」を視聴することができるが、このくずまきテレビでは町内の行事やイベントの様子をお知らせする「くずまきトピックス」が放送されている。この番組のナレーションを勤めているのが、私が進学した大学の放送部部員であった。私もナレーションの仕事に従事し、これをきっかけに葛巻町との接点ができた。くずまきトピックスでは葛巻町の様々な出来事が取り上げられるので、原稿を読むなかで葛巻町の様子を知ることができた。何よりも町の資源を活かしたイベントが盛りだくさんである事が印象的だ。私の生まれ育った場所は仙台のベッドタウンのような住宅街であったため近所で行われるイベントはあまりなかったように思う。
盛岡市から葛巻町に行くには車で1時間半かかるのだが、盛岡市から、滝沢市を抜け、隣の岩手町を過ぎると、その道中は山、また山であり、時々カモシカにも遭遇するなど、自然の豊かさを感じる。また、葛巻町は酪農が盛んであるため牛の飼料用のデントコーン畑や牧草地が広がり、その景観はヨーロッパのようで、異国に来たような気分になる。
さらに、葛巻町では自生する山ぶどうを活かしたワイン造りにも力を入れており、毎年、くずまきワインを楽しむイベントが多々開催されている。学生時代には放送部のメンバーが葛巻町で開催されるワインパーティに招待され私も参加した。そこで、おいしいくずまきワインを味わいながら、参加した方々とのおしゃべりを楽しんだ。とにかく楽しい。こんな楽しい町があるのか、と感じていた。
すっかり葛巻町のファンとなっていた私は、葛巻町役場で募集していたインターンシップに申し込んだ。インターンシップでは、葛巻町役場の仕事を学ぶほか、葛巻町の三つの第三セクター、(一社)葛巻町畜産開発公社(くずまき高原牧場)、(株)岩手くずまきワイン、(株)グリーンテージくずまきで仕事を体験した。また、町中心部では9月下旬に行われる「くずまき秋まつり」の準備真っ盛りだったので、その準備に参加させていただいた。くずまき秋まつりは、葛巻八幡宮の例大祭にあわせて行われる祭りで、4つの組がそれぞれ山車を引っ張り、町中を練り歩く。このお祭りに向けた準備がインターンシップのなかで一番印象に残った。地域の人が集まって、お祭り本番に向けた山車(だし)の飾りつけ制作、太鼓や笛の練習、祭り1日目の夜に行われる「共演」に向けた、子供たち、お母さん方、中高生それぞれのグループでの踊り練習等に熱心に取り組んでいた。「活気あるコミュニティ」というのはこういうことを言うのではないだろうかと感じた。また、説明してくださった方の「こうした場を通して子供たちは礼儀やコミュニケーションを学んでいく」という言葉が印象的だった。私は、地域の皆で何かを作り上げるとか、近所のいろんな年齢層の人と会話するといった経験がなく育ったので、当時の自分と、葛巻町の子どもたちと比較したら、葛巻町の子どもたちは確実にコミュニケーション能力が高いと感じる。
こうした経験を通し、もともと人の温かさに惹かれていた葛巻町だったが、ますます大好きになった。その後、葛巻町役場職員の採用試験を応募することとした。
これが私の葛巻町に就職した経緯である。
○くずまきライフ1年目
さて、葛巻町の職員になったばかりの頃は、仕事もプライベートもわくわく、新鮮、楽しい毎日だった。
役場入庁1年目は農政係を担当。葛巻町は標高が平均で400mあり、平均気温が約8.8℃と冷涼な気候であるため、果物栽培には適さない。主に、ホウレンソウ、野沢菜、葉タバコ、りんどうといった農作物や花きが生産されている。また、特用林産物である、山ぶどうの栽培も行われている。葛巻町では気温が上がりようやく春がやってくるとホットしたと思ったら、5月に急に気温が下がり朝方霜がおりることがあるのだが、これが農家にとってはひやひやものだ。山ぶどうが霜被害にあってしまったという話もあった。また、夏の豪雨による川の氾濫で畑が水没し、葉タバコが被害に遭ったり、例年よりも暖かく害虫の発生時期が早いので早めの防除が必要にも関わらず、対策が遅れてしまい被害が出てしまったり、ということもあり、農政係の仕事を通じて、「農家さんは自然と共に生活があるのだ」と実感した。
プライベートでは、私は自然が好きなので楽しくてしょうがない毎日だった。葛巻町には馬淵川という一級河川が流れているのだが、実家の近くに川がなかったため、新鮮で、学生時代の友達を呼んでは川遊びをしたり、水生生物探しに明け暮れたりした。ただ少し寂しいのは、夏があっという間に終わってしまうということだ。お盆を過ぎるとすぐにひんやりとした空気になる。
葛巻町内を流れる一級河川「馬淵川」
お盆が過ぎ涼しくなってくると先ほど紹介した「くずまき秋まつり」の準備が始まる。インターンシップでは1日だけお邪魔させていただいたが、今回は本格的にかだらせて(参加させて)もらった。踊りと太鼓の練習をした後は、そのまま夕食(飲み会)!翌日も踊り、太鼓の練習、山車の飾りつけ、そのまま飲み会!飲み会では、祭りに対する熱い想いや、町民の面白エピソード等を聞き、とにかく笑いが絶えない。お祭り当日は山車を引っ張り町中を練り歩く。山車を引っ張った時の大八車(人形や太鼓を乗せる車輪がついたもの)の「きいい」という音、太鼓や笛の音、音頭上げ等、準備期間中に聞いていた音が、祭り本番で、全て合わさったときには感動した。お祭りは2日間の行程で行われるが、それぞれの晩でも飲み、皆で祭りのあれやこれや語り合った。よそ者の自分をさらっと受け入れてくれる葛巻人の温かさを改めて感じた。
夜のライトアップも素晴らしいです。
くずまき秋まつりの山車の飾りつけは全て手作りです。
無事お祭りも終わると、一気に寒さが増し厳しい冬がやってきた。1年目はとにかく寒さに耐えるのに必死だ。窓際においていたトイレットペーパーは結露で濡れて凍り窓に引っ付いてしまう。窓にプチプチを張るなどして少し断熱補強をしながら寒さをしのいだ。
○くずまきライフ5年経過
役場に入庁し今年で5年目となった。入庁後2年目からはエネルギー政策に関わる環境エネルギー係となった。葛巻町は「ミルクとワインとクリーンエネルギーのまち」をキャッチフレーズとしており、ミルク(酪農)とワインとクリーンエネルギーの三つの柱を軸に町づくりを進めてきた。その柱の一つを担当することになり、毎日身を引き締めて仕事に従事している。葛巻町は1999年に「新エネルギーの町くずまき」を宣言している。その内容は、『「天のめぐみ」である風力や太陽光、「地のめぐみ」である畜産ふん尿や水力、豊かな風土・文化を守り育てた「人のめぐみ」を生かして、地球規模の課題である地球環境問題に足下から取り組んでいく』ことを宣言したものだ。同年には、新エネルギービジョンを策定し、様々な新エネルギー設備を他の地域に先駆けて導入してきた。現在、発電設備は、「風力発電」、「太陽光発電」、それと家畜ふん尿からメタンガスを取り出し電気と熱を作る「畜ふんバイオガス発電施設」、間伐材の有効活用を目的に実証実験施設として作られた「木質バイオガス発電施設」等があり、情報発信の場としての役割を果たしている。私は、こうした取り組みを見学に来る視察者への説明や、葛巻町のクリーンエネルギー政策の企画を業務としている。
標高1000mの上外川高原で稼働している風力発電所。
クリーンエネルギー(木質バイオガス)発電施設の視察。
令和4年度にはビッグイベント、21回目となる「全国風サミット」が葛巻町で開催された。葛巻町では22年ぶりの開催である。私はその主担当となった。日本の風力発電事業草創期から関わってきた方々とも出会い、その情熱に触れることができた貴重な機会であった。第21回全国風サミットinくずまきの様子については、「2022年(令和4)広報くずまき10月号」にまとまった記事があるのでご覧いただければと思う。
風サミットの開催や日々の業務の中で感じることは、エネルギーの世界は奥が深く、専門的な分野であるということ。例えば風力発電事業は、普段町では完成した発電所しか見ないが、風車を形作る様々な部品はどこかで作られ、葛巻町に運ばれてきている。私は一度発電機補修作業の現場を見せて頂いたことがあるのだが、職人による手作業もあり、こうした技術があるから風力発電事業が成り立つのだと実感した。他にも表舞台にはあまり出てこないのだが、風力発電所のメンテナンス業務に携わっている方もいる。メンテナンスに従事する方からもお話しを伺う機会があったのだが、葛巻町の風力発電所は標高1,000mもある高原地帯に立っているので冬季はスノーモービルで現場まで行くという事であった。厳しい環境下で作業しているということはお話しを聞くまで知らなかった。このように一つ風力発電のみを見ても奥が深い。エネルギー係4年目にしても分からないことだらけである。
現在、町が目指している姿は、クリーンエネルギーの恩恵を町民が実感できる町である。例えば、風力発電や太陽光発電を導入することで電気代が安くなり経済的負担が軽減されるという事が挙げられる。しかし、現時点では風力発電が立地し電源構成の再エネ割合増加に貢献したとしても電気代が安くなるわけではない。制度上の難しさもあるのが現状である。だが、ここであきらめないのが葛巻町である。小さな農山村だからこそできることに果敢に挑戦していく。挑戦のタイミングを逃さぬよう、情報収集、知識習得に努めたい。
○気候の変化
仕事は先に書いた通り充実しているが、プライベートは、というと、こちらも1年目にひきつづき充実している。やはり毎年胸が騒ぐのは、くずまき秋まつりである。(コロナ禍で3年間は規模縮小での開催となった。)今年も9月22日、23日にかけてくずまき秋まつりが行われた。お祭りに関わる人達の温かさは1年目の時から変わらない。しかし、5年という歳月の中で気候は変化しているようだ。5年前は寒い寒いと言いながら山車を引っ張っていた記憶があるが、今年は暑い暑いと言いながら引いていた。 “お盆が過ぎたら寒いです”と葛巻町を紹介していたが、今年はお盆が過ぎても暑かった。会話のなかでも、今年は暑さが厳しいね、熱中症に気を付けなければね、と話すシーンが何度かあった。松茸が出るのも遅い。
毎年9月に行われる薪・牧・巻トリプルまきフェスタにおける「全日本薪積み選手権大会」の様子。森の恵みに触れる貴重な機会となっています。
気候変動による影響は身近に迫っているのではないかと感じる。特に農家や酪農家、林家は気候変動の影響を直接受ける人たちである。気温が上がることによって葛巻町の酪農(牛のストレスにつながらないか?)にはどんな影響があるか?農作物への影響は?気温が上がることで、害虫が北上し林業へ影響を与える可能性はどれくらい増えるのか?そういった情報を町でもしっかりと把握し、情報発信し、気候変動への影響に対応できるよう準備を進める必要があると感じている。
○最後に
葛巻町がどんな町かイメージいただけただろうか。魅力は書ききれないほどあるので、興味がある方は是非、葛巻町にお越し頂けたら嬉しい。私はこれからも楽しく、いろんなことに挑戦し、素敵なくずまきライフを続けていきたい。
令和4年8月に新庁舎が完成しました。また、乳牛導入130周年の年でもありました。背景に見えるのはカラマツの紅葉です。
(2023年10月21日受理)